玉東町について
玉東町(ぎょくとうまち)は、熊本県北に位置し、南東に熊本市北区、北に和水町、西に玉名市と隣接しています。町域は、東西約4キロメートル、南北約9キロメートル、総面積24.4平方キロメートルで、北側に石灰の山「木葉山(このはやま)」、南側に「三ノ岳」を有します。
町の主要産業は農業で、みかんをはじめとしたフルーツの栽培が盛んな町です。中でも2003年から栽培がはじまり、日本一の栽培面積を誇るスモモ「ハニーローザ」は様々な加工品が誕生し、今や町の誇りとなっています。
町の東西を貫くようにJR鹿児島本線や国道208号が通っており、都市圏への交通アクセスの良さが評価されています。近年町ではJR木葉駅をいかした「駅を中心としたまちづくり」を展開しており、住宅分譲地や高層マンション整備に取り組んできた結果、移住定住者が増加し、ベッドタウンとしての色合いが増してきました。
本町の前身「玉東村」は、昭和30年3月1日に木葉村(このはむら)と山北村(やまきたむら)の二村が合併して誕生しました。その後、昭和42年4月に町制施行し現在に至ります。町制施行当時の人口は8,311人でしたが、現在の人口は5,191人(令和5年1月時点)で、2,116世帯が暮らしています。
町のキャッチコピーは「みかんと史跡の里」であり、温州(うんしゅう)ミカンをはじめとした柑橘類や梨、スイカ、イチゴといった各種果実の生産が盛んです。また、明治10年(1877)西南戦争の激戦地が町域各地に残されているほか、古代以降の遺跡や千年以上の歴史をもつ神社が残る歴史ある町です。西南戦争という激しい内戦をきっかけに現在の日本赤十字社の前身である「博愛社(はくあいしゃ)」が発足したことから、玉東町は日本赤十字社発祥ゆかりの地といわれています。
県の伝統工芸品である「木葉猿」は、千三百年の歴史をもつ素焼きの猿の郷土玩具で、今も人々の安寧を願って一つ一つ丁寧に作られ続けています。

半高山からの景色

原倉の段々畑(第32回くまもと景観賞:奨励賞)

オレンジタウン
町名の由来
昭和30年の合併時に公募で決められました。応募者は359名で、うち121名が「玉東村」としたことからその名が付けられました。玉名郡の東に位置することから名付けられたようです。
町章

町制施行にともない制定されました。全体は玉東町の「東」をデザイン化したもので、中央から右の部分は「玉」をイメージし、東方から日が出ずる様子を表しています。日の出の勢いで玉東町が限りない発展をするように願ったものです。全体の円は円満で、満月のように欠けるところなく和やかな状態であることを願ったものです。
町の木 イチョウ

イチョウ(昭和60年2月制定)明治10年西南戦争で大繃帯所(だいほうたいじょ)の置かれた正念寺にあるイチョウの大木が有名です。樹齢400年以上と推定されており、町の長い歴史を見守ってきました。11月末頃には鮮やかな黄色に色づきます。
町の花 みかんの花

みかんの花(昭和60年2月制定) 昭和になって栽培が盛んになった特産品であるみかんの花を町の花としています。毎年4月から5月には白い小さな花が咲き、優しい香りが人の心を和ませます。
町の鳥 うぐいす

うぐいす(昭和60年2月制定)春の訪れを告げる美しい鳴き声のうぐいす。3月頃になると山間部では長閑な鳴き声が響きます。
町の特産品
温州(うんしゅう)みかん

三ノ岳の北側の緩斜面地は、安山岩の風化土により成り立ち、水はけのよさと有明海に抜ける風通しのよさから、柑橘をはじめとした果物の栽培に適しています。町では昭和25年頃から生産者が増加し、手開墾での園地の拡大が始まりました。現在では、個人経営農家の努力によりブランド化されたものもあり全国に販路を拡大しています。
ハニーローザ

早生の二ホンスモモで生果は45g程度と小さいですが糖度が高く酸味が少ないのが特徴です。6月の上旬から中旬の10日間しか収穫できないので幻のスモモといわれています。加工品のアイスクリームやソフトクリームはその風味を一年中楽しむことができ人気を博しています。
木の葉猿

指先で土をひねって作られる素焼きの「猿」の人形で、養老7(723)年にその起源をもち、郷土玩具のなかでも最も古いといわれています。猿は、悪病や災難が「去る(さる)」といわれ、さらに子授け、子孫繁栄のお守りとして今も多くの人に親しまれています。
玉東町の人口・行政組織・広報紙など