明治10年西南戦争に関する遺跡の一つです。篠原国幹は、薩軍(西郷郡)一番大隊長として西南戦争に参戦した人物で、西郷隆盛の右腕と呼ばれた優秀な人物でした。
明治10年3月3日。玉名高瀬の戦いからいったん退いた西郷軍は、田原坂から玉東町の山間部に陣を敷きました。篠原率いる部隊は現在の玉東町原倉地区に陣営を置き、政府軍を迎え撃ちます。篠原は緋裏のマントに銀色の大太刀をふるって陣頭指揮を執っていたところを、元部下であった江田国通少佐の部隊に狙撃され絶命したと伝えられています。遺体は、薩軍本営のあった熊本の二本木(現在の熊本駅周辺)に運ばれ、遺体を見た西郷は大粒の涙を流したと伝えられています。
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